えっ!? そもそも佐川一政の言葉に興味が…、ない…、だと!?
そんなん知るか!!これは俺アーカイブスとしてやっておるっ!!
てなわけで、こんなんも出てきました。
パリ人肉事件佐川一政が秋葉原事件の加藤被告を語る『容姿を揶揄されることの苦』
掲載年月日:2010年詳細年月日不明 掲載サイト「携帯サイトB級ニュースGON!」
『容姿を
揶揄される
ことの苦』
二〇〇八年六月十六日付けの朝日新聞・朝刊に掲載されていた「加藤容疑者が書き込んだとされる言葉」を一読し、胸の張り裂ける思いに駆られ筆を執った。
“顔だよ顔 全(すべ)て顔 とにかく顔 顔、顔、顔、顔、顔、顔”なる容疑者の叫びは私のこころの奥を針で幾度も刺し貫く痛みを覚えた。幼い頃、例えばバスや電車に乗ると、向かいの席の私と同じ位のトシの子供たちが互いに耳打ちをしながらヒヤヒヤと冷笑する瞳で自分を凝つめることが多々あった。
恐怖だった。遣り切れなかった。
大人になっても此の状況は変わることはなかった。大学生の親友に、小児麻痺の青年がいた。とても優しく利発な友であった。彼と私が一緒にいると、ニヤついた顔の男子学生が度々割って入った。始めは私たちと友人になりたいのだと思っていた。でもある時、其の学生の視線に、奇妙な優越感と綯い交ぜとなった揶揄の、黒々とした塊を見て取り背筋が凍った。
無論絵に描いたような“美男美女”などほんの位置割にも満たず、顔の造作など然程問題にする程のことではあるまい。テレビのバラエティ番組などで楽し気に笑うタレントや芸人たちも決して美男でも美女でもない。
が、そんなフツーの顔とは異なるものー
例えば私の顔や体付きは、フツーですらない。未熟児で生まれ、胎児の姿の儘に育った自分は、身長一メートル五〇センチにも満たず、頭だけは異様に大きい。パリで大きな事件を起こす迄は、それでもヒソヒソ話し程度の揶揄で終始していたが、犯罪者となってよりは、仕事で出会った漫才師、漫画家などから、「事件の前からこんなに異様なんですか!? それとも、あんな事件を犯したからこんなに異様になったんですか!?」(太●光)とか、「ふん、猟奇犯罪を犯しただけのことはある。雰囲気も異様だ。」(小●●●のり)など辛辣を極めた言葉の礫が抛げられる。それだけの大罪を犯した故、当然のこととは思う。
だが、街中などで子供たちに凝視されると、やはり居に堪らない気持ちにならざるを得ないのだ。
フランスの哲学者、ジャン=ポール・サルトルも言っている。
「顔、それは何より深刻な問題だ」
彼も容姿には恵まれなかった。加藤容疑者の犯したことは到底許されるはずもないものだが、彼のこころの叫びに私は深く同様せずにはいられない。からだのことについて揶揄されること程、心を蝕まれることはない。
<了>
他の犯罪者に関するコメントもあったと思うんで探し出しま~す!
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